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大阪地方裁判所 平成6年(ワ)9569号 判決

原告

木本博幸

右訴訟代理人弁護士

武村二三夫

重村達郎

被告

ミリオン運輸株式会社

右代表者代表取締役

長野基

本田祥乃

右訴訟代理人弁護士

赤木淳

主文

一  原告が、被告との間で、一〇トン車を運行する路線便運送貨物自動車運転手としての雇用契約上の地位を有することを確認する。

二  被告は、原告に対し、二三万二五〇〇円及び内金六万五〇〇〇円に対しては平成六年三月一一日から、内金一六万七五〇〇円に対しては平成六年四月一二日から、それぞれ支払済に至るまで、各年五分の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告に対し、平成六年五月一〇日以降毎月一〇日限り、月額四三万一〇〇〇円及びこれに対する各支払期日の翌日である毎月一一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用は被告の負担とする。

六  この判決は、第二項、第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一ないし第三項同旨

2  被告は、原告に対し、四三万一〇〇〇円及びこれに対する平成六年四月一一日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  主文第五項同旨

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告(以下「被告会社」ともいう。)は、貨物自動車運送事業等を営む株式会社である。

2  原告は、被告会社との間で、平成四年四月二一日、貨物自動車(一〇トン車)の路線便運転手として雇用契約を締結した。

3  しかるに、被告会社は、平成六年四月八日以降、原告を解雇したとしてその従業員としての地位を否認している。

4(一)  被告会社の原告に対する給与は、一回の運行に対する支払額に、運行回数を積算して算出される出来高払い制度(「一運行いくら制」という。)であり、毎月二〇日締めの翌月一〇日払いである。

(二)  原告の、平成六年三月八日以前の三か月間の平均賃金は、四三万一〇〇〇円である。

(三)  被告会社は、原告の平成六年二月分の給与について、無事故手当から金二万円を、精勤手当から四万五〇〇〇円をそれぞれ控除して支給した。

また、被告会社は、原告に対し、同年三月分の給与として二六万三五〇〇円しか支給しない。

5  よって、原告は、被告会社との間に、一〇トン車を運行する路線便運送貨物自動車運転手としての雇用契約上の地位を有することの確認を求めるほか、被告会社に対し、平成六年三月一〇日に支給された同年二月分の給与不足分合計六万五〇〇〇円、同年四月一一日に支給された同年三月分の給与と右平均賃金四三万一〇〇〇円との差額である一六万七五〇〇円、同年三月二一日以降毎月一〇日限り右平均賃金月額四三万一〇〇〇円、及び右各金員の支払期日の翌日である毎月一一日から、右各金員に対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

すべて認める。

三  抗弁

1  解雇

(一) 被告会社は、かねてより、市川運輸倉庫株式会社(以下「市川運輸」という。)から請け負った仕事として、堺・四日市間の路線便に一〇トン車一台を運行させてきたほか、倉本運送有限会社(以下「倉本運送」という。)から請け負った仕事用に一一台の一〇トン車を保有し、これをもって同社の定期便八路線及び臨時便を運行してきた。

なお、倉本運送は、福山通運の下請企業であって同社以外の仕事はせず、被告会社も、収益の七割を倉本運送からの孫請業務に依存していた。

(二)(1) 原告は、平成五年一一月一五日、被告会社の粟田従業員(以下「粟田」という。)を同乗させて二人乗務として福山通運摂津支店を出発し、翌一六日午前三時三〇分ころ同社福山本社に到着、仮眠休息のうえ、若干の仕事をしたのち、同日午後一〇時三〇分ころ、右福山本社を出発して途中姫路に立ち寄り、翌一七日午前三時三〇分ころ摂津支店に到着した。

(2) 原告は、右摂津支店に到着した際に、独断で粟田との二人乗務を解き、さらに同支店で仮眠してほしいとの福山通運側の要請を無視して帰宅して寝過ごしたため、同日(平成五年一一月一七日)午前八時に摂津市内にあるタクミ産業に荷降ろしする旨指示を受けていた福山本社からの荷物(以下「本件荷物」という。)を、同日午後一時三〇分ころに配達するという延着事故を起こした(以下「本件事故」という。)。

(3) 本件事故の結果、福山通運は、被告会社に対し、即日、原告の福山通運に対する出入り禁止を申し渡し、倉本運送に対し、同社を通じて被告会社が従事していた摂津支店・福山本社間の路線便の契約を解除するという処分を行った。

また、倉本運送も、被告会社に対し、平成五年一二月一日、原告の出入り禁止処分を行い、平成六年一月三一日には被告会社が倉本運送から請け負っていた東住吉・福山北間の路線便の契約を解除するという処分を行った。

(三)(1) 被告会社では、平成五年一一月二二日、被告会社の長野基社長(以下「長野」という。)、本田祥乃副社長(以下「本田」という。)及び奥村豊吉運行課長(以下「奥村」という。)が出席して、本件事故に関する事故審議会を開催し、原告にも出席を求めたが、原告は、右事故審議会への出席を拒否した。

長野及び本田は、右審議会において、原告の即時解雇を主張したが、奥村が原告をかばったために、原告の処分は奥村に委ねられることとなった。

(2) また、被告会社は、原告に対し、始末書を提出するよう求めたが、原告は、これを拒み、平成五年一二月二〇日になってようやくこれを提出した。

(四)(1) 被告会社は、倉本運送による原告の出入り禁止の措置の後も、原告を倉本運送から請け負っていた路線便に乗務させていたが、同社の宇藤直樹運行部長(以下「宇藤」という。)は、被告会社に対し、平成六年二月二〇日ころ、これ以上原告を使うことはできない旨の最後通告をした。

(2) そこで、被告会社は、奥村を通じて、原告に対し、平成六年三月五日、倉本運送以外の二トン車又は四トン車の運送業務に就くよう説得したが、原告は、「どうしても福山の路線に乗せろ」、「森本をしばきたおしてでもコースに戻る。」と暴言を吐いてこの配置転換を拒否し、高速道路利用プレートと給油カードを返すという退職を意味する行動に出た。

原告は、市川輸送の路線便に従事していた際にも延着事故を起こして出入り禁止の処分を受けていたため、被告会社は、原告に対し、一〇トン車の路線便運転手として働く場所を提供することができなくなった。

(五) そこで、被告会社は、原告に対し、平成六年三月八日、解雇予告通知を行い(以下「本件解雇予告通知」という。)、同年四月八日、解雇の効力が発生した(以下「本件解雇」という。)ものである。

(六) なお、原告による本件事故は、本来、被告会社就業規則四七条一項〈19〉(業務上の怠慢又は監督不行届によって火災傷害その他の事故を発生させた時)及び〈20〉(故意又は重大な過失により会社に損害を与えた時)の各懲戒解雇事由に該当するが、被告会社は、敢えて、懲戒解雇を選択しないこととし、代わりに、原告がその過失により本件事故を発生せしめたことにより、原告が倉本運送から出入り禁止の処分等をされたため、原告に対し、一〇トン車の路線便運転手として働く場所を提供することができず、雇用契約上の債務を履行することができなくなったので、同三八条三項〈3〉(やむを得ない業務上の都合による時)及び〈15〉(その他やむを得ない事由がある時)により、原告を普通解雇に処したものである。

2  原告の給与減額

(一) 平成六年二月分の給与について

(1) 被告会社は、本件事故分の差引きがずれ込んだため、原告の平成六年二月分の給与のうち、無事故手当から二万円を控除した。

(2) 原告は、一か月に一二運行をもって皆勤とされるところ、平成六年二月一八日の運行を欠勤したので、原告の平成六年二月分の給与から一運行分四万五〇〇〇円を控除した。

(二) 平成六年三月分の給与について

被告会社は、平成六年三月九日、被告会社就業規則四条四項〈4〉(乗務員で本人の過失が大きい事故があった場合は配置換又は乗務停止することがある)に基づき、原告を雑役手に配置転換(以下「本件配置転換」という。)し、かつ、同月二〇日までの実作業日数が一〇日であったため、平成六年三月分の給与は二六万三五〇〇円にとどまったものである。

四  抗弁に対する認否

1(一)  原告は抗弁1(一)を明らかに争わない。

(二)(1)  同1(二)(1)のうち、原告が粟田を同乗させたことは否認し、その余は認める。

粟田は、平成五年一一月一五日に入社したばかりで、原告と二人乗務となるのは同月一七日午後四時以降である。

(2) 同1(二)(2)のうち、原告が帰宅して睡眠をとったこと、原告が寝過ごした結果タクミ産業宛の荷物を午後一時三〇分ころに配達したことは認め、その余は否認する。

原告は、粟田と二人乗務ではなかったから、独断で二人乗務を解いたことはなく、また、自宅に帰るについて、摂津支店の担当者の了解を得た。さらに右荷物には「午前中必着」との伝票が添付されていたが、午前八時必着との指示はなかった。

そもそも、原告が従事していた路線便の配送業務は、運送会社の支店又は営業所間を往復すれば足りるものであるところ、右本来の業務に加えて荷主であるタクミ産業に対して直接配達する(以下このような業務を「自配」という。)旨の指示は、労働基準法の定める一日の労働時間の規定や、労働省告示の定める自動車運転者の労働時間の改善のための基準に違反するから、違法かつ無効というべきである。

(3) 同1(二)(3)のうち、摂津支店・福山本社間及び東住吉・福山北間の各路線便がなくなったことは認め、倉本運送が、本件事故当日、原告の出入り禁止と路線契約の解除を通告したことは不知、その余は否認する。

原告は、奥村から、時間があれば一度倉本運送の宇藤のところに行ってこいと言われたことはあるが、福山通運に謝罪に行く必要はないとのことであった。そして、本件事故も当日現場で謝罪して納まっており、その後、倉本運送からも出頭要請や催促もなかったので、そのままになってしまったものである。

倉本運送による、平成五年一二月一日の出入り禁止処分の指示書は、後日組合つぶしを目的とする本件解雇のために作られたものである。

また、被告会社が倉本運送から請け負っている運送路線便数は、本件事故当時の八路線から、摂津支店・福山本社間及び東住吉・福山北間の二路線がなくなったにもかかわらず、平成六年前半までには関東方面を中心に一三路線に増加しているのであるから、本件事故は、福山通運及び倉本運送との取引関係において、経営上死活問題になるような性質のものではなかった。

(三)(1)  同1(三)(1)は否認する。

(2) 同1(三)(2)は認める。

原告は、始末書の作成に際して、被告会社に対し、自配に関する勤務体制の整備を要望したために、その提出が遅れたものである。しかし、いずれにせよ、右始末書の提出により、本件事故については譴責処分がなされて決着済みとなった。

(四)(1)  同1(四)(1)は否認する。

最後通告なるものは存在しなかった。

(2) 同1(四)(2)のうち、原告が、奥村に対し、平成六年三月五日、高速道路利用プレート及び給油カードを返却したことは認め、その余は否認する。

原告は、同年二月一八日に結婚式を挙げ、休暇の後、同月二八日から仕事に戻り、同年三月四日まで新人の高田に対する研修を行い、同日から同月五日まで、結婚式前から乗務していた和歌山・埼玉間の路線便に従事した。

しかし、原告が同日午後、埼玉から被告会社東部営業所に帰ってくると、奥村は、原告に対し、右和歌山・埼玉間の路線便には乗せられない旨申し渡した。原告は、右路線便は自己が改良してきた路線だったこともあり、約束が違うなどと奥村に言ったが、結局仕方なく、同路線便の運行に使用するための高速プレート及び給油カードを返却した。

しかし、右高速道路利用プレート及び給油カードは、いずれも料金請求の関係から各路線別に使われていたものであるから、これを返却したからといって退職を意味する行為には当たらず、現に、原告は被告会社のオートダイヤルカードを返却しなかった。

(五)  同1(五)のうち、被告会社社長の長野が、原告に対し、平成六年三月八日、解雇予告通知書を手交したことは認め、その余は争う。

(六)  同1(六)は不知ないし争う。

2(一)  同2(一)は争う。

原告のような一運行いくら制の運転手の場合、給与は一回の走行金額に回数をかけて算出するのであるから、月給制のように精勤手当とか無事故手当という概念がそもそもない。また、本件事故についても、既に始末書を提出して一件落着しているから、無事故手当を控除する理由はない。

(二)  同2(二)のうち、原告が雑役手に配置転換されたことは認め、その余は否認する。

右配置転換は、平成六年三月一一日に口頭で、同月一八日に書面でなされたが、これは本件解雇を前提とするものであって、本件解雇が無効である以上、これも無効である。

結局、被告会社による原告の二月分の給与減額は、無事故手当や精勤手当の減額や不支給に名を借りた実質上の制裁金であり、その総額六万五〇〇〇円は、給付された二月分給与の一〇分の一以上であるから、労基法九一条に違反する。

五  再抗弁(不当労働行為、手続違背及び解雇権の濫用)

1(一)  被告会社の従業員竹山三郎(以下「竹山」という。)は、かねてから被告会社の給与支払方法について被告会社と交渉していたものであるが、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(以下「本件組合」という。)のミリオン運輸分会(以下「本件分会」という。)を結成し、平成五年七月三〇日、被告会社に対して本件組合加入及び本件分会結成を通告した。

(二)  被告会社は、竹山を、平成五年七月三一日、本件組合に加入したことを理由として解雇した。

(三)  原告と被告会社従業員中井博一(以下「中井」という。)は、平成五年九月一九日、本件組合に加入して中井は本件分会の副分会長、原告は同じく書記長に就任し、同年一〇月一三日、被告会社に対してその旨の通告をした。

(四)  被告会社は、中井に対し、平成六年二月、被告会社が保証人になったカード債務の未返済を理由に解雇予告通知をしたが、同人が同月二三日、本件組合を脱退した直後に、右解雇予告通知を撤回した。

被告会社による右解雇予告通知の撤回は、本件組合脱退と引換えになされたものであり、この結果、被告会社従業員の中で本件組合員は原告一人となった。

2  原告は、奥村に対し、本件解雇予告通知の前日である平成六年三月七日、本件組合の「春闘における支部統一要求書」及び「九四春闘統一要求書」を提出した。

3(一)  奥村は、原告に対し、平成六年三月八日、被告会社東部営業所において「組合をやめたらどうか。」、「組合やめたら親父(長野のこと)のそのつつぱりがなくなるわけや・・・そしたら関東でもどこでも走らせられる。」と、本件組合を脱退すれば従来どおり路線トラック運転手として仕事ができるようになる旨働きかけをするとともに、本件組合に入っているかぎり週四四時間制との関係でトラックを運転することはできず被告会社をやめざるを得ないこと、どこの運送会社でもほとんど雇ってくれないことを話した。しかし、原告は、これに応じなかったので、間もなく被告本社に呼ばれ、長野から、本件の解雇予告通知書を交付された。

(二)  長野は、原告に対し、右解雇予告通知書を交付する際、本件組合の要求項目にある週四四時間労働制について、「その時間内で長距離を走らせたら合わない、勤務体制にはまらないのでやめてくれ。」、「組合にはいった前後、そのあたりからあんたはおかしくなった。」、「社長の言うとおりにやっていくかという気になればまたそれはそれで申し出てくれたらええ。」、「中井の例もあるようにやな、解雇予告を出したから必ずそれを実行するという意味ではないわけや、わかりますか。」、「まあなんていうかなー、俺あなたに言葉尻つかまれてね、いわゆる不当労働行為だとかなんとかいわれたくないからな。」、「あなた受け取れへんっていえば、その事によってあなたがこれから先々就職することがおよそ不可能に近くなるって事や。」、「組合についていったら本当に首つりになるよ。」と述べたほか、原告のために生じた損害を何年分も請求してやる、組合は労働三法しかなく頼りにならない、どちらが自分や家族のためになるかよく考えて行動するように、などと言って、暗に雇用継続と引換えに本件組合脱退を促した。

4  奥村は、原告に対し、平成六年三月九日、「組合をやめたら親父のつっかかりがなくなるので、従来どおり仕事できるようになる。」と本件組合脱退を働きかけ、その結果原告は、一旦奥村の面前で本件組合の脱退届を書いて持ちかえったが、本件組合と相談のうえ、翌一〇日、奥村に対して今までどおり本件組合を続ける旨意思表示した。

また、奥村は、本件組合に対し、同日、本件組合からの不当労働行為であるとの抗議により、謝罪文を交付した。

5  長野は、原告に対し、平成六年三月一一日、口頭で運転手から雑役手への配置転換を通告(本件配置転換)し、原告にペンキ塗りの仕事をさせ、さらに同月一八日に配置替命令書を交付した。

6  したがって、原告に対する本件解雇、平成六年二、三月分の給与減額及び本件配置転換は、いずれも、原告が本件組合に加入し、労働組合の正当な行為をしたことを理由としてなされたものであり、かつ、本件組合の活動を抑圧排除して介入しようとするものであるから、労組法七条一号、三号に該当する不当労働行為として無効である。

7  被告会社は、本件事故につき、事故審議会を開催せず、また、原告に右開催の通知さえなさないまま、本件解雇をなしたものであるから、本件解雇は無効である。

8  また、被告会社は、原告に対し、既に、始末書の提出で決着済みの、三か月以上も前の本件事故を理由として本件解雇をなしたものであって、本件解雇は、解雇権の濫用に当たるので、無効である。

六  再抗弁に対する認否

1(一)  再抗弁1(一)は認める。

(二)  同1(二)は否認する。

竹山は、被告会社の慰留を排して暴言を残して自発的に退職したものである。

(三)  同1(三)は認める。

(四)  同1(四)のうち、被告会社が中井に対し、カード債務の未弁済を理由に解雇予告通知をし、その後右解雇を撤回したこと、中井が本件組合を脱退したことは認め、その余は否認する。

中井は、本件組合に入っていても、組合費を取られるだけでメリットがないことを理由に右組合を脱退したのであって、右解雇の撤回と引換えに脱退したのではない。

2  同2は認める。

3(一)  同3(一)のうち、被告会社社長の長野が、原告に対し、同日、解雇予告通知書を交付したことは認め、その余は不知。

奥村の発言はいずれも個人的なものであるにすぎない。

(二)  同3(二)のうち、長野の個々の発言は認めるが、その趣旨は争う。

長野は、原告に対し、その素直な謝罪と謙虚な反省を求め、併せて処世の態度を戒めたものであるにすぎない。

4  同4のうち、奥村が謝罪文を出したことは認め、その余は否認する。

右謝罪文は、本件組合員らが奥村を吊し上げて強制的に書かせたものである。

5  同5は認める。

6  同6ないし8は争う。

第三証拠

証拠については、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一請求原因について

請求原因事実については、すべて当事者間に争いがない。

第二抗弁及び再抗弁について

一  当事者間に争いのない事実、当事者が明らかに争わないことから自白されたものとみなされる事実、成立に争いのない(証拠・人証略)、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  本件事故発生に至る経緯

(一) 原告は、かねてより、一〇トン車の運転免許を取得していたところ、被告会社との間で、平成四年四月二一日、大型貨物自動車運転手として雇用契約を締結し、同年六月一日から、被告会社が市川運輸から新たに請け負った一〇トン車による路線便に乗務を開始した。

原告は、同年一二月ころから、被告会社が倉本運送から請け負った一〇トン車による路線便(倉本運送は、その運送業務をすべて福山通運からの下請に依存していたから、右路線便も、福山通運の業務であった。)の乗務に転じたが、平成五年六月、それまで市川運輸からの一〇トン車による路線便を担当していた被告会社の佐藤進司従業員が退職したことに伴い、右市川運輸の路線便の乗務に復帰することとなった。原告は、右復帰の初日である同月二一日、原告の寝過ごしにより延着事故を発生させたが、同年九月一二日ころ、被告会社の内勤の係長に転ずるまでの間、右市川運輸の路線便への乗務を継続し、被告会社は、原告に対し、右延着事故について特段の処分をしなかった。

(二) ところで、被告会社には、そのころ、運転手に対して支払う給与については、〈1〉定額の給与を支払うもの、〈2〉「償却制」と称してトラックを運転手が購入し、その購入代金等二五パーセントを被告会社が控除して、その余を給与として支給するもの、〈3〉「一運行いくら制」と称して、一か月当たりの運行回数に応じて給与が支払われるもの、の三種類があり、そのいずれを選ぶかは運転手と被告との話合いによって決められていた。そして、原告は、倉本運送からの路線便に乗務を開始する際、被告会社との間で、右「一運行いくら制」で給与の支払を受けることで合意していたが、原告が内勤の係長となる際、給与については、最低給与を毎月三五万円とし、原告がトラックの運転に従事するなどした際にはその分の上乗せをすることで改めて合意がなされた。

(三) 被告会社の従業員の竹山は、かねてより、右「償却制」で被告会社から給与を得ていたが、その二五パーセントの控除内容に疑問を持ち、被告会社に対し、平成四年四月ころから、その内容を明らかにすることを求めると共に、賃金の控除が過大であるとしてその支払を求めていた。

竹山は、被告会社の説明に納得がいかなかったため、被告会社に対し、平成五年六月二八日ころ、同年七月三一日までに納得のいく説明と過大に控除されていた賃金を支払うならば被告会社から退職する旨を告げたが、その後も被告会社が満足のいく回答をしなかったので、同年七月二五日、本件組合に加盟して本件組合のミリオン運輸分会(本件分会)を結成して自ら分会長に就任した。

本件組合は、被告会社に対し、同月三〇日、竹山の本件組合加盟を通告すると共に、右未払賃金の支払等について団体交渉の申入れを行ったが、被告会社が竹山は既に自発的に被告を退職したものとの見解に立って右団体交渉に応じようとしなかったため、同年八月九日、大阪府地方労働委員会に対し、右団体交渉応諾及び竹山の解雇撤回について斡旋を依頼した。

他方、原告と被告会社従業員の中井は、竹山の誘いもあり、同年九月一九日、本件組合に加盟し、原告は本件分会の書記長に、中井は、その副分会長に就任した。

(四) 原告は、一〇トン車の運転手であったころには毎月四〇万円を超える収入があったところ、内勤の係長では収入が減少することから、被告会社にその旨を申し出て、その同意の下、再び平成五年一〇月一二日からトラックの運転手に復帰することになった。他方、本件組合は、被告会社に対し、翌一三日、原告及び中井の本件組合加盟を通告すると共に、竹山の復職、未払賃金の支払等を議題とする団体交渉の申入れを行い、被告会社も、右申入れに応じて同月二三日に団体交渉を行うこととなった。

2  本件事故の発生

(一) 原告は、平成五年一一月一一日から、被告会社が倉本運送を通じて福山通運から請け負っていた福山通運摂津支店・同社福山本社間の路線便(一〇トン車)に乗務を開始した。

そして、原告は、同月一五日午後二時、右路線便に乗務して摂津支店を出発、翌一六日午前四時ころ、福山本社に到着した。原告は、右福山本社で、同日午後八時三〇分ころ、本件荷物を福山通運の得意先であるタクミ産業に直接配達(自配)するよう指示を受けたが、その際、本件荷物の自配については、翌一七日午前中必着との指示がなされていた。

原告は、右指示に基づき、福山本社から同社の福山北支店及び姫路支店を経由して、翌一七日午前三時三〇分ころ、摂津支店に到着したところ、右支店の者に、自配のために同支店で仮眠を取るよう言われた。しかし、原告は、体調がすぐれなかったこと、同日午後四時に、被告が新たに採用した粟田を同乗させて、再び摂津支店・福山本社間の路線便の乗務につく予定であり、着替えが必要だったことから、一旦帰宅して仮眠を取り、その上でタクミ産業に本件荷物を配達しようと考えた。そこで、原告は、摂津支店を出て、トラックを当時被告会社が借りていた港区所在の車庫に駐車し、車庫から自転車で帰宅して自宅で睡眠をとった。

(二) しかし、原告は、同日(平成五年一一月一七日)の午前一一時ころまで自宅で寝過ごしたため、本件荷物をタクミ産業に届けたのが同日の午後一時三〇分ころになるという延着事故を発生させた(本件事故)。原告は、本件事故について、本件荷物を届けた際に口頭でタクミ産業に謝罪し、また、被告会社にも報告したほか倉本運送に電話で謝罪した。

原告は、同日午後四時ころ、被告会社の車庫で粟田をトラックに同乗させ、路線便運行のため福山通運摂津支店に向かった。しかし、福山通運は、原告に対し、仕事はない旨を指示したため、原告は、被告会社を通じて、急遽倉本運送から、福山通運東大阪支店発岡崎経由豊橋行きの便を割り当てられて同便に乗務することとなった。

なお、福山通運は、倉本運送に対し、即日、福山通運から前記摂津支店、福山本社間の路線便を解除する処分を行ったので、これを受けて、倉本運送は、被告会社に対し、右路線便を解除する処分を行った。

(三) 被告会社では、被告代表者の長野及び本田に、奥村を加えて三人で、平成五年一一月二二日ころ、原告の処分について話し合ったが、その際、長野は原告の解雇を主張したのに対し、奥村は原告をかばったため、結局、原告の処分と今後の処遇については、奥村に一任されることとなった。

他方、本件事故に関して、奥村は、倉本運送の宇藤と共に、同月二九日ころ、福山通運摂津支店に謝罪に赴き、右宇藤は奥村に、原告を一度来させるように言った。そこで、奥村は、原告に対し、宇藤のもとに話に行くように指示し、かつ、本件事故について始末書を書くよう指示したが、原告は、宇藤の元へは行かず、さらに、本件事故の原因は、運行に無理を生じさせる原因は自配にあり、これについて何らかの対処をしてほしいとして始末書をなかなか書こうとせず、右始末書を提出したのは同年一二月二〇日になってからであった。

なお、奥村は、本件事故後、原告を福山通運摂津支店に発着する便には乗務させないように配車を行ったが、原告は依然として倉本運送が福山通運から請け負った路線便に乗務を続けた。

3  本件解雇予告に至る経緯

(一) 倉本運送は、平成六年一月末ころ、従来、被告会社に依頼していた東住吉・福山北間の路線便を、京都・金沢間の路線便に変更し、以後、同じ運転手が同じトラックで右京都・金沢便に乗務することとなった。

原告は、そのころ、被告会社が倉本運送から請け負っていた和歌山・埼玉間の路線便に従事して、同年一月二一日から同年二月一七日までの間に一一回の運行に乗務したが、同年二月一八日、結婚式を挙げ、以後、同月二七日までの間、休暇を取ったので、右和歌山・埼玉間の路線便には被告会社の森本従業員が従事した。

(二) ところで、被告会社は、平成六年二月、中井がカード債務の返済を滞らせたことを理由に、同人に対し、解雇予告通知を行った。

中井は、本件組合に対し、同月二六日、本件組合を脱退する旨の届けを提出し、その結果、本件分会員で被告の業務に現に従事する者は原告一人となったが、被告会社は、その後、中井に対する右解雇予告通知を撤回した。

原告は、同月二八日、被告会社に出社し、奥村の指示で、被告会社が倉本運輸(ママ)から請け負っていた京都・柏間や大阪・四日市間の不定期便に乗務し、併せて、新入従業員の高田も同乗させて同人に対する研修も行ったが、原告は、同年三月四日、高田が出社しなくなったので、再度、和歌山・埼玉間の路線便に乗務した。

しかし、原告が、同月五日(土曜日)昼ころ、埼玉から被告会社の東部営業所に帰社すると、奥村は、原告に対し、来週からは右路線便に乗務させない旨申し渡した。原告は、右路線は従来から自分が乗務しやすいように工夫改善を加えてきた路線であったこともあり、奥村に対し、その理由を尋ねたが、奥村は明確な理由を述べなかった。

原告は、やむをえず、被告会社がかねてから右和歌山・埼玉間の路線便の運転手に対し、同路線便専用に交付していた高速道路利用プレート及び給油カードを奥村に返却したが、その際、右路線便とは関係なく、被告会社の各運転手が携帯していたオートダイヤルカード(公衆電話から被告会社にのみ架電できるカード)は返却しなかった。

(三) 原告は、平成六年三月六日、本件組合の新入組合員歓迎会に出席し、本件組合の「九四春闘統一要求書」及び「トラック・一般支部統一要求書」を受け取って、翌七日午後、被告の東部営業所に出社すると奥村にこれらを交付した。奥村は、同日午後八時四〇分ころ、東部営業所を訪れた長野に右各要求書を交付したが、右九四春闘統一要求書には、賃金引き上げ等の要求のほか、一週間の労働時間を四四時間とされたい旨の要求が記載されていた。

(四) 原告は、右新入組合員歓迎会で、中井が本件組合を脱退した結果、自分が被告従業員のうちただ一人の本件分会員となったことを聞かされたこと、平成六年三月七日から定期便の仕事がなくなったこと、同日に右統一要求書等を交付したことから、被告が自己に対して組合脱退のために何らかの働きかけがあるかもしれないと考え、同月八日、テープレコーダーを購入してから被告会社東部営業所に出社した。

原告は、当日、仕事がなく、奥村との話の中で、「俺としては仕事がしたい。」旨言ったところ、奥村は、あくまでも自分の意見であると断った上で、「俺としては組合やめたら親父のそのつっぱりがなくなるわけや。四四時間うんぬんっていうのは、そしたら関東でもどこでも走らせられる。」などと発言し、本件組合に加盟している限り一週間四四時間の労働時間の制約があって仕事に制約がかかること、本件組合に加盟していると他の運送会社にも就職しにくくなることなどを挙げて、原告に対し、本件組合を脱退するように説得を行った。

4  本件解雇予告通知及び原告の賃金の減額等

(一) 長野は、同日(平成六年三月八日)、被告会社東部営業所に電話して、奥村を通じて原告を被告本社に呼び出し、原告に対し、同日午後四時三〇分ころ、解雇予告通知書を交付して、解雇を申し渡した(本件解雇予告通知)。右解雇予告通知書では、本件事故が原告の解雇理由とされており、本件事故のため、「福山通運本社及北その他の便数をカットされた」、「会社の体面を汚され不名誉な損害賠償金を徴収せられた」などと記載され、以上は就業規則三〇条三項、五項、四七条一九項、二〇項に該当するものとして解雇する旨の記載があった。

原告は、右解雇予告通知に納得せず、説明を求めると、長野は、原告に対し、「組合に入れば当然四四時間規制というのが出てくるし、あなたの希望と行動とは一致し得ない。」、「組合にはいった前後、そのあたりからあんたはおかしくなった。」、「社長の言うとおりにやっていくかという気になればまたそれはそれで申し出てくれたらええ。」、「中井の例もあるようにやな、解雇予告を出したから必ずそれを実行するという意味ではないわけや、わかりますか。」、「まあなんていうかなー、俺あなたに言葉尻つかまれてね、いわゆる不当労働行為だとかなんとかいわれたくないからな。」、「あなた受け取れへんっていえば、その事によってあなたがこれから先々就職することがおよそ不可能に近くなるって事や。」、「だからあなた自身がどちらの道を選ぶかはあなた自身にお任せすると。いわゆる謙虚に自分が出てくるんであれば私の方も。市川でも頑張った、また倉本の仕事にも頑張ったということがあるから懲戒解雇にはしてないわけや。そこらの気持ちもよくくんでね、俺が何を考え、俺が何をいわんとしているか、そこらをくみとってほしいねん。」、「私はあなたを将来にやはり中枢にもってきてやろうと思って一生懸命そのあなたの功績に対して勉強さしながら引き上げていこうと思ってまず係長に任命したわけやんか。」、「だからそこらの所をよく考えて、あなた自身がこれを持ち帰って充分謙虚に将来を見すえ、現在の自分がどう動かないかんか、という事を考えなきゃいけない。」、「組合についていったら本当に首つりになるよ。」等発言したほか、原告のために生じた損害(逸失利益)を民事訴訟で請求する、組合には労働三法しかない、解雇予告通知を受け取らなければ裁判所で告知する、告知すれば原告の人生はパーになる、などと申し向けた。

(二) 原告は、いったん解雇通知書を持ち帰って考え直すこととし、平成六年三月九日、被告会社東部営業所で、奥村と会ったが、その際、原告は、本件組合宛の脱退届を作成した。しかし、右脱退届は、奥村がその記載内容を口述して、原告がこれを記載するという形で作成されたものであった。その際、奥村は、原告に対し、倉本運送以外の丸和通商なる会社からも被告会社において一〇トン車の路線便を獲得する余地があることを前提に、これを原告に任せるとの口吻の下、組合脱退に向けて、決断を促すべく、強く説得した。しかし、原告は、その後、右脱退届を被告会社に提出せず、本件組合に相談したところ、本件組合員ら約一〇名は、翌同月一〇日、被告会社東部営業所に押し掛け、奥村に、被告会社課長の肩書で、同月八日の発言を不当労働行為であることを認め、今後そのような行動をしない旨を記載した「謝罪文」と題する書面を作成させた。

また、被告会社は、原告に対し、同日、二月分(平成六年一月二一日から同年二月二〇日まで)の給与を支給したが、右給与の精勤手当から四万五〇〇〇円、無事故手当から二万円が控除されていた。

(三) 被告会社は、原告に対し、平成六年三月一一日、口頭で雑役手への配置転換を命じ、同月一八日、右配置転換が被告会社就業規則四条四項〈4〉に基づく旨を記載した配置替命令書を交付した。このため、原告は、以後、運転業務に従事できず、ペンキ塗りなどの雑役に従事することとなった。

被告会社は、本件解雇予告通知に基づき、同年四月八日以降、解雇の効力が発生したとして原告の就労を拒絶しており、同月一一日、原告に対し、同年三月分の賃金として二六万三五〇〇円を支給した。

以上の事実が認められる。

二  本件事故の発生等に対する被告会社の反論について

1  被告会社は、本件事故について、原告は、粟田との同乗を解いて午前八時必着の指定を受けていた荷物を延着させ、平成五年一一月二二日の事故審議会には原告の出席を求めたにもかかわらず、原告がこれを拒否したことや、本件事故の結果、福山通運及び倉本運送から出入り禁止処分を受けたばかりでなく、摂津支店・福山本社間及び東住吉・福山北間の各路線便を解除された旨を主張し、(証拠・人証略)中にはこれに沿う部分がある。

2(一)  そこで、まず、粟田の同乗の有無について検討するに、(証拠略)の運転日報の粟田の記載をみると、これらはいずれも(証拠略)の記載と明らかに矛盾するばかりでなく、(証拠略)によれば、むしろ、(証拠略)の粟田の記載は後に何者かによって記載されたうえ、再度、(証拠略)に粟田の記載がなされたと考えられること、(証拠略)(福山本社から摂津支店への運転日報)には粟田の記載がないこと、これらに照らすと、(証拠略)の、奥村及び本田の各供述はいずれも不自然かつ曖昧であることから、右の平成五年一一月一五日から同月一六日までの間、粟田が原告と同乗勤務していたとする証拠はいずれも信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  次に、本件事故の際に、原告が午前八時必着との指示を受けていたか否かについて検討するに、本件事故の際にタクミ産業宛の荷物が午前八時必着との指示がされていたとする(証拠略)の(解雇予告通知書)の作成者である長野は、右午前八時必着との指示について何らの根拠を示していないこと、(証拠略)で奥村は本件事故当日の午前九時ころに倉本運送から催促の電話があった旨供述するが、これは(証拠略)の本田の供述や、当日は午前一〇時すぎまで被告会社事務所にいなかった旨の奥村自身の証言と矛盾すること、本田の右各供述もまた、当時自宅で家族と暮らしていた原告に、催促の電話が一切通じなかったという点で不自然であることを免れないこと、他方、現に右荷物を自配する旨の指示を受けた当人である原告は、一貫して午前中必着との指示を受けたにとどまる旨供述していることに照らすと、(証拠略)の記載は信用することができず、むしろ、右荷物は午前中必着との指示がなされていたにすぎないと認めるのが相当である。

(三)  また、平成五年一一月二二日の事故審議会の開催について検討するに、(証拠略)(事故審議規定)には、「重大事故を起こしたときは公平妥当な取扱いを期する為、本人をまじえて審問してこれを行う。」との記載があり、(証拠・人証略)中で、奥村及び本田は原告の自宅に電話をかけるなどして原告にその出席を求めた旨供述している。

そこで検討するに、本件事故が、寝過ごしという自動車運転手としては初歩的な過誤によること、前記認定のとおり本件事故により摂津支店・福山本社間の路線便が解除されたこと、事故審議会における話合いの結論については右各証拠の長野、本田及び奥村の供述がほぼ一致していること、前記認定のとおり、本件事故後に原告に対して本件事故に関連して具体的な指示をしたのが奥村であったことに照らすと、被告会社において、平成五年一一月二二日ころ、本件事故に関して長野、本田及び奥村による話合いがもたれた事実が認められる。

しかしながら、右話合いの機会に、原告が出席する機会を与えられたか否かについて検討すると、右各証拠の本田及び奥村の供述は、いずれも原告に右事故審議会の開催について伝達した時期、内容、相手方について矛盾があること、前記のとおり、タクミ産業への荷物の自配は午前中必着であると指定されていたと認められ、かつ、原告は、延着事故を発生させたにせよ午後一時三〇分ころには右荷物を配達しているから、本件事故が右事故審議規定にいう「重大事故」といえるか疑問が残ること、被告会社は平成五年一一月二二日以後も、原告に対して本件事故について何ら弁明の機会を正式に与えたとは認められないことから、前記認定の事実に徴すると、平成五年一一月二二日に、長野、本田及び奥村により本件事故についての話し合いが行われた事実は認められるが、仮に、この話し合いが事故審議会の開催といえるとしても、これについて原告に出席を求めたとまでは認めることはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(四)  さらに、本件事故の結果、摂津支店・福山本社間の路線便を解除されたほか、原告は福山通運及び倉本運送から出入り禁止処分を受け、追って東住吉・福山北間の路線便も解除されたとの被告会社の主張についてみるに、原告が、本件事故の当日から福山通運摂津支店への出入りを断られ、以後右支店に出入りしなくなったこと、本件事故後、被告会社が右摂津支店・福山本社間の路線便を担当しなくなったこと、本件事故が原告の寝過ごしによる延着という運転手としては初歩的な過誤によるものであること、原告も、本件事故後、右摂津支店・福山本社間の路線便がなくなったことに気が付いていた旨自認していることに照らすと、前記認定の事実に徴して、右摂津支店・福山本社間の路線便は、本件事故により解除されたと推認するのが相当である。

しかしながら、福山通運からの出入り禁止処分について検討すると、なるほど、原告が、本件事故当日、福山通運摂津支店から出入りを断られ、以後右支店に出入りしなくなったものの、原告は、以後も平成六年三月五日まで三か月以上もの間、福山通運からの路線便等に乗務を続けていたことに照らすと、(証拠略)の原告が福山通運から出入り禁止処分を受けた旨の宇藤の供述はにわかに信用し難く、他に福山通運から原告に対し出入り禁止処分がなされたとの事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

(五)  すすんで、倉本運送から原告に対し出入り禁止処分がなされたか否かについて検討するに、(証拠略)(指示書)には、右出入り禁止の旨が記載されており、(証拠略)では宇藤は右出入り禁止処分をした旨を供述している。

しかしながら、右指示書は、その記載内容が本件事故の内容と符合しないこと、原告は、右出入り禁止の指示がなされたとされる平成五年一二月一日以降、平成六年三月五日まで、三か月以上も被告会社が倉本運送から請け負った路線便等に引き続き乗務していたこと、奥村は右指示書の存在を知りつつ原告には伝えなかった旨供述するが(〈証拠・人証略〉)、右内容の指示書がありながら、原告にその旨を伝えず、始末書の提出と宇藤方へ行くことを指示するだけで、原告を依然として倉本運送からの路線便に従事させるのは不自然であることに加えて、前記認定の本件事故の程度に照らすと、右各証拠はいずれも直ちに信用することができず、倉本運送からの出入り禁止処分の存在については疑問が残るといわざるを得ない。

(六)  また、東住吉・福山北間の路線便が解除されたとの点について、(証拠略)にはこれが本件事故に起因するものである旨の記載があるが、右路線便の解除は本件事故から二か月余りを経た平成六年一月末になされていること、右路線便に従事していたトラックは、その後、同じく倉本運送から請け負うこととなった京都・金沢間の路線便に振り替えられており、実質的には路線数の減少は見られないことに照らすと、右各証拠はいずれも信用することができず、他に東住吉・福山北間の路線便の解除が本件事故によるものであると認めるに足りる証拠はない。

3  以上によれば、被告会社の前記主張のうち、原告が、平成五年一一月一七日午前中必着との指示を受けていたタクミ産業宛の荷物について、その寝過ごしにより、午後一時三〇分ころに配達するという延着事故を起こし、その結果、倉本運送が、福山通運から、摂津支店・福山本社間の路線便を解除され、倉本運送も、被告会社に対し、右路線便を解除する措置を執ったことが認められるが、その余はこれを認めるに足りる証拠がない。

4  なお、被告会社は、本件解雇について、倉本運送の宇藤が被告会社に、平成六年二月二〇日ころ、これ以上原告を使うことはできない旨の最後通告があったこと、原告が奥村に、同年三月五日、暴言を吐いて退職の意思表示をし、自発的に退職したと主張し、(証拠・人証略)中には右主張に沿う部分があるが、この点も、次のとおり理由がない。

まず、右最後通告の事実の有無について検討するに、前記認定のとおり、そもそも、本件事故の延着の程度は必ずしも大きいものではなかったと認められること、倉本運送の宇藤による原告の出入り禁止処分についてはその事実を認め難いこと、東住吉・福山北間の路線便が解除されたことが本件事故に起因するとまでは認めがたいこと、原告は本件事故後も倉本運送から請け負った路線便等に乗務し続けていたこと、(証拠略)によると、宇藤は平成五年一二月ころから倉本運送における地位が低下しており、その後の原告の運送従事について容喙できる立場にあったとまで認め難いこと、右最後通告なるものがあったと主張されている時期は、本件事故後約三か月経ってからであることに照らすと、右各証拠はいずれも信用し難く、他に右最後通告なるものの存在を認めるに足りる証拠はない。

次に、平成六年三月五日の件について検討すると、前記認定のとおり、奥村において原告を和歌山・埼玉間の路線便から外すことについて被告会社主張のような理由が見当たらないこと、被告会社主張の原告の発言及び対応は不自然であること、原告は右路線便に附属している給油カード及び高速道路利用プレートを返却したが、これは奥村の指示に従ったにすぎず、現にオートダイヤルカードは返却していないこと、原告は、翌週の同月七日には被告会社東部営業所に出勤していることに照らすと、原告が自発的に退職したとは認め難く、右各証拠はいずれも信用することができず、他に被告会社主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

三  原告の平成六年二月分の給与減額について

1  被告会社は、原告の平成六年二月分の給与について、本件事故分の差引きが遅れたために、同月分の給与の無事故手当から二万円を減額し、かつ、一か月一二運行をもって皆勤とされるところ、平成六年二月一八日の運行を欠勤したために、精勤手当から一運行分四万五〇〇〇円を控除した旨主張し、(証拠略)にはこれに沿う部分がある。

2  しかしながら、右給与の減額は、本件事故の発生から三か月以上を経た、本件解雇予告の翌日である平成六年三月一〇日になされていること、右無事故手当の控除が遅れた理由に関する本田の供述は甚だ不自然であること、原告の給与は被告において「一運行いくら制」と呼ばれる完全な歩合制によっており、一か月一二回の運行をもって皆勤とする旨の明確な合意があったと認めるに足りる的確な証拠はないこと、原告は同年一月二一日から同年二月二〇日までの間に一一回の運行に従事していること、右歩合制の給与について無事故手当や精勤手当を観念することは困難であることに照らすと、右各証拠はいずれも信用することができず、他に被告会社主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

四  不当労働行為の成否について

1  以上認定の事実を前提に、原告主張の不当労働行為の成否について判断する。

2  そこで検討するに、原告の解雇事由とされている本件事故は、前記認定のとおり、必ずしも重大なものとまでいうことはできず、右事故によって被告会社に生じた損害も、摂津支店・福山本社間の路線便を解除された他にはみるべきものが認められないこと、倉本運送による原告の出入り禁止処分の存在にも疑問が残ること、原告がかつて市川運輸の路線便に乗務していた当時に延着事故を起こした際には、被告会社は原告に対して特段の処分を行っていないばかりか、その後原告を内勤の係長に昇進させていること、本件組合員であった中井に対する解雇予告通知、同人の本件組合脱退、解雇予告通知の撤回がごく短期間内に行われており、原告に対する本件解雇予告通知と時間的にも近接すること、本件解雇予告通知の当時、本件分会員で、被告会社の業務に実際に従事していたものは原告一人であったこと、本件解雇予告通知がなされたのは本件組合による春闘統一要求書が原告を通じて提出された直後であること、右解雇予告通知を行う際の被告代表者長野の前記認定の発言内容、本件解雇予告通知の前後になされた、被告会社運行課長奥村の、本件組合脱退に向けた前記認定の説得活動、原告の平成六年二月分の給与支給は本件解雇予告通知の直後であり、かつ、その減額内容に合理性が認められないこと、本件解雇予告通知後に原告がペンキ塗りなどの雑役手に配置転換され、本来の運送業務を取り上げられたことに照らすと、被告会社の、原告に対する本件解雇、平成六年二、三月分の給与減額及び本件配置転換は、いずれも、原告が本件組合に加盟し、積極的に活動をしていることを理由としてなされたものと推認するのが相当であり、労組法七条一号所定の不当労働行為に該当するものというべきである。

3  したがって、被告会社の原告に対する、本件解雇、平成六年二、三月分の給与減額及び本件配置転換は、いずれも労組法七条一号に反するものとして無効である。

五  解雇権濫用の主張について

1  なお、原告は、解雇権の濫用の主張をするので、この点についても念のため判断する。

2  被告会社は、本件解雇理由として、原告がその責めに帰すべき事由により、本件事故を起こし、そのため、出入り禁止処分等を受けるなどしたため、被告会社において原告に対し雇用契約上の債務を履行できなくなったので、止むなく、原告を解雇したと主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、原告が、平成五年一一月一七日午前中必着との指示を受けていたタクミ産業宛の荷物について、その寝過ごしにより、午後一時三〇分ころに配達するという延着事故を起こし、その結果、倉本運送が、福山通運から、摂津支店・福山本社間の路線便を解除され、これを受けて、倉本運送も、被告会社に対し、右路線便を解除する措置を執ったことが認められるが、その余の被告会社の主張はいずれも採用できない。

しかるところ、右認定のとおり、本件事故は、午前中必着との指示を受けたタクミ産業宛の荷物を、午後一時三〇分ころに配達するという内容の延着事故であって、これによって、摂津支店・福山本社間の路線便が解除されたという事実は認められるにせよ、原告が終局的に被告会社が倉本運送から請け負っていた路線便等に乗務できなくなったとまでは認められないこと、原告が市川運輸の路線便を降りたのは内勤の係長となったためであって、同社に対する延着事故のためではないと考えるのが自然であること、平成六年三月八日及び同月九日の奥村の原告に対する前記認定の発言内容からは、倉本運送以外の会社からも被告会社において一〇トン車の路線便を獲得する余地があったことが窺えることから、本件事故により、原告に雇用契約上の債務を履行できなくなった旨の被告会社の主張はその理由を欠くものというべきである。

3  したがって、被告会社による本件解雇は、被告会社主張の解雇理由を欠くということができ、本件解雇は効力を有しないものというべきである。

なお、本件事故により、被告会社において原告に対し雇用契約上の債務を履行できなくなったか否かを離れ、仮に、専ら、原告により本件事故の発生及びこれがもたらした被告会社に対する影響等に着目して、これを理由とする解雇の相当性の有無を判断するとしても、前記認定のとおり、本件事故による延着の程度は必ずしも大きいものではないこと、本件事故のもたらした影響の程度、内容は、前記認定のとおり、摂津支店・福山本社間の路線便が解除されたというに止まること、もとより、それ自体、必ずしも、軽微な損害とのみ評することはできないものであるが、本件解雇に至るまでの経緯等によれば、被告会社において、仮に、原告に本件組合加入及び積極的な組合活動の事実がないとき、被告会社が原告に対し本件事故の発生及びその影響のみを理由として、解雇までしたか疑わしいことに鑑みるとき、被告会社が原告に対し、本件事故を理由として、解雇をもって処するのは重きに過ぎるというべきであって、結局、本件解雇は、社会通念上相当性を欠き、解雇権の濫用に当たり無効というべきである。

第三結論

一  原告の契約上の地位の確認について

原告は、本件訴訟において、自らをして大型貨物自動車(一〇トン車)の運転手としての雇用契約上の地位の確認を求めているところ、被告会社は、原告が一〇トン車の運転免許を取得していることもあって、原告を採用したこと、原告は、以後、内勤の係長であった期間を除き、一〇トン車の路線便運転業務に従事してきたこと、原・被告間では、原告の給与は「一運行いくら制」という歩合制で支払われる旨の合意があったことは、いずれも前記認定のとおりである。

したがって、原告は、被告会社との間で、路線便大型貨物自動車(一〇トン車)乗務の運転手として雇用されたという雇用契約上の地位を有しているというべきである。

二  原告の賃金について

1  原告は、平成六年二月分の給与から合計六万五〇〇〇円を控除されたが、右控除は、被告会社の不当労働行為意思に基づいてなされたものであることは前記認定のとおりである。したがって、被告会社は、原告に対し、右金員及びこれに対する支払期日の翌日である平成六年三月一一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負うものというべきである。

2  また、原告は、平成六年三月分の給与として二六万三五〇〇円しか給付を受けておらず、翌月以降、被告の従業員としての地位を否認された結果、その後の給与の受(ママ)給を受けていないことは前記認定のとおりである。

したがって、被告は、原告に対し、右各給与の支払日の翌日から、平成六年三月分については、原告の平成六年三月八日以前の三か月の平均賃金である四三万一〇〇〇円との差額一六万七五〇〇円及びこれに対する右給与の支払期日の翌日である同年四月一二日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負い、また、同年四月分以降については、同年五月一〇日以降毎月一〇日限り、右平均賃金である四三万一〇〇〇円及びこれに対する各支払期日の翌日である毎月一一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負うものというべきである。

なお、原告は、平成六年三月分の給与について、支払済の二六万三五〇〇円との差額を請求するほかに、重ねて、その全額の支払を請求するが、これについては、右差額分の請求を認容するをもって足り、その余の全額の支払請求は認容するに及ばないから、失当であって、理由がない。

三  以上から、原告の請求は、主文掲記の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 竹中邦夫 裁判官 井上泰人)

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